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- No.10 ちょっと里心が…。 入院七日目
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2014.08.30 Saturday
No. 10
急性胆管炎、発症から手術、入退院までのちょっと可笑しな体験記
2014.7.21 AM 10:00
10時過ぎ掃除の師匠(オバさん)がやって来た。
今日はひとりで、ゴミの回収だけである。
「相棒(オネエさん)はどうしたの?」と聞くと
「休みなの。」と、嬉しそうに答えた。
先週は師匠も、弟子もさぞかし疲れたろうな。
「オーイ、オーイ。」
疲れを知らないのがオーイおじさんである。
「オーイ。」の他にも何か叫ぶ時もあるが、よくは聞き取
れない。
最近夜よりも昼間の方が叫ぶ回数が多くなっている。
それに居場所がだんだん遠くなっている気がするのだが。
パターンが変わったのか、何か対策がとられたのか…。
見舞いに訪れた人たちも少々逸脱したあの叫び声には一様に
驚き、気の毒がってくれる。が初日の夢、三途の川の話をす
ると、皆さんそういう事ならばと微笑んでくれる。
入院も一週間、体調はすこぶる良好でパジャマさえ着ていな
ければ見舞客と一緒にエレベーターに乗ってしまいそうである。
ちょっと、里心がついてきたか。
なるほど、このピエロパジャマには意味があるんだな…。
つづく
- No. 9 只今狩猟免許試験の勉強中 。 入院六日目
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2014.08.26 Tuesday
No. 9
急性胆管炎、発症から手術、入退院までのちょっと可笑しな体験記
2014.7.20
ほぼ毎日が経過観察状態なので本来ならとっくに
退屈している筈なのだが。
ほれ! この通り抜け目が無い。
入院支度のバックの中に忍ばせて置いた狩猟免許取得
のための教科書と問題集。(銃猟ではなくわな猟の免許
を取るつもりである。)
長い間、馬を飼い、牛を飼い、山に篭っていた時期も
あったので動物とのやり取りはお手の物である。
農作物を作るようになって被害の甚大さに、人任せには
できないと思った。
が普段は仕事も忙しく、夜になれば一杯飲んでしまうので
なかなか勉強も進まない所であった。
何が災いし、何が幸いするのかは分からない物である。
四人部屋の病室も貸切状態がつづいており、空調も
バッチリ( 動かないので寒いぐらいだ。)三食昼寝付きで
リゾート気分を満喫。
午前午後二時間程勉強し飽きてきた頃に、AKB48ばりの
看護師さんが検診に来てくれるのでそれも楽しみである。
難を言うならこのピエロ服のようなパジャマ(病院貸出し用)
は早く脱ぎたかったが…。
朝一番に散歩をし、新聞を読み、朝食となり、そうじの師弟
がやって来て、試験勉強、AKB48が登場し、昼食となり、
ちょっと昼寝をして試験勉強、運動がてらに散歩をして、
単子本など読んでる間に夕食となり、野球中継なんぞ見てると、
再びAKB48が登場しアレよと言う間に一日が過ぎてしまう。
中々贅沢な入院生活である。
つづく
- No. 8 掃除のオバさんとオネエさん。 入院五日目
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2014.08.21 Thursday
No. 8
急性胆管炎、発症から手術、入退院までのちょっと可笑しな体験記
2014.7.19 AM 8:45
毎朝9時前にやって来るのが掃除のオバさんとオネエ
さんである。師弟関係にあるのかは定かではないが、
入院初日から毎日笑わせてもらえるので楽しみにしている。
師匠のオバさんは70才ぐらいであろうか。小柄て゛
細身だが、立ち居振る舞いがベテランの域である。
弟子のオネェさんは40才前ぐらいか、小太りでお尻
の大きいブラジル人かな?。どう見ても聞いていても、
その日が初出勤のようであった。私もまだ絶対安静と
言われベットでジッとしていたから、ふたりのやり取りが
良く聞こえたのである。
「あー!、ダメダメ。」
「違う!、違う!。」
「このモップはトイレ用で、これは病室用なの。」
悲鳴に近い師匠の声が小さく響き渡る。
「トイレットペーパーの先は三角に折っておくのよ。」
「判りましたか?。」とやさしく諭すが。
「ワタシ、コトバ、ワカラナイ。」と弟子が答える。
笑いをコラえるのが大変だった。
後でトイレに入ったらトイレットペーパーの先は
台形に折られていた。
翌日の朝も全く同じやり取りだったので可笑しかった。
弟子のオネエさんもそれなりに一生懸命やっているの
だろう。
師匠のオバさんも言葉を選び選び教えているんだが、
どうも二度手間仕事になっているようである。
何時も私が居るので教え方に気兼ねしているのかも
しれないと思い、テンもいなくなって身軽になった事
だし用もないがディルームへ行くことにした。
師匠とすれ違いざまに「先生も大変ですね。」と言うと
「いえ、いえ。」と恥ずかしそうにしていたが、
「違うの、そのモップは外用なのよ。」と再び小さく
叫んだ。
ガタン、パタンとなかなか荒々しいモップがけである。
やっぱり今日は徹底的に仕込んでもらおう。もう少し
楽しみたかったがディルームへとそそくさと退散した。
今朝は、念願の真っさら新聞を隅から隅まで読んで
しまったのでディルームでの楽しみは今は無い。
そうだ、点滴が外れてシャワーの許可が出ていたっけ。
予約表を見ると丁度今開いている、病室番号と名前を
記入しすぐに部屋に戻る。
すると、何時もより大きな声で師匠が指導していた。
着替えとシャンプーを持ってシャワー室へ向かう。
年甲斐も無く長髪なので早く髪の毛を洗いたかった。
全身くまなく洗い流し久しぶりにサッパリした。
鼻歌交じりで部屋に戻ると、おっ! 床がぺトペト
しないぞ。トイレをのぞくとペーパーはちょっと長いが
しっかり三角形になっている。
オネエさん、見事会得したようである。
思わず拍手。パチパチ…。
意外とアキナイ入院生活である。
つづく
- No. 7 テンと張り込み。 入院四日目
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2014.08.17 Sunday
No. 7
急性胆管炎、発症から手術、入退院までのちょっと可笑しな体験記
2014.7.18 AM 5:00
普段から生乳の仕入れなどで朝五時前には起きているので
どうしても目が覚めてしまう。
未だ( オーイおじさんのお蔭か。) 四人部屋を一人で
使っているので、起床時間前に起きだしては本を読んだり
体操をしたりしている。
起床時間の六時になると待ってましたとばかりテンを連れ
て散歩に出掛ける。
相変わらず出来の悪い相棒だが、返って愛着がわくという
ものだ。と言うのも昨日の散歩時、テンの性格が読み切れて
いなかったので直ぐに体力を消耗しディルームで休憩する
羽目となった。やっぱり交換してもらうかなと思っていたら
自動販売機の横に本と一緒に新聞が置いてある。中日新聞、
しかも広告入りで。
「やった! 楽しみが一つ増えた。」
外界と遮断されたこの場所で信じられる唯一の身近な情報源
である。大袈裟と思うかもしれないが、入院とはそういう
ものである。
テレビや携帯のiモードでいくらでも最新情報は得られるが、
そういう問題ではないのだ。
で、この新聞が何時、誰がこの場所に運んでくるのかが問題
であった。新聞屋さんが配達しているとは思えないので、
テンと散歩のふりをして張り込みをすることにしたのだ。
このデイルームとエレベーターの間には空間があり、ぐるり
と一周できるようになっている。配達人は必ずエレベーター
を使って上がってくるはずなので、この約150mの円周を
散歩していればきっと行き会うはずだ。
「あっ! テンの様子がおかしい。」
しまった点滴の残りが少ない、戻らないと看護師さんに
怒られるな。検温とかもやってないし、たしか採血をする
って言ってたな。
AM6:15
張り込み開始から15分、職員用エレベーターのドアが
開いた。
手には何部もの新聞をかかえた若い守衛さんが足早に
ディルームへと向かう。
やった、(犯人は?)守衛さんだったのか、急いで後を追う
がテンの動きが悪い。しかも点滴は空に近く、慌てたせい
か血が逆流している。
真っ新な、角の揃った新聞が読みたかった。
残念だが今回はあきらめるしかない。
カラカラ、トボトボと部屋に引き返すと、看護師さんが
仁王立ちで待っていた。
採血を終えると。
「午後からエコー検査があるので昼食はありません。」
とちょっと冷たく告げられた。
午後、車いすに乗せられて一階のエコー検査室へ向かう。
何日かぶりで六階の病棟を離れ地上へと戻る。外へ出た
わけではないが外界の熱気があふれ返っていた。
夕刻、担当のS医師がやって来てエコー検査は異常なく
血液検査の数値もかなり改善してきたと告げられる。
入院時の数値を比較すると驚くほどの違いがあり、N医師が
慌てて紹介状を書いてくれたのもうなずけるところである。
「これなら、点滴を止めても良いでしょう。無くなり次第
外すことにします。」
なんと今朝は楽しく一緒に張り込みをしたというのに、
テンとはもうお別れなのか…。
PM10:00
消灯間際、テンは空になった。
看護師さんが手際よく針を抜くと、すっと軽くなった。
「さよなら、テン。」
あー、やっと足かせが外れた。
動物的な開放感が全身に伝わるな。
「おー、自由だ。」
思わずつぶやいてしまった蘇庵であった。
つづく
- No. 6 テンとお散歩。 入院三日目
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2014.08.14 Thursday
No. 6
急性胆管炎、発症から手術、入退院までのちょっと可笑しな体験記
2014.7.17 AM 6:00
小便はまだ濁っているが体調は良い。
夜になっても酒が飲みたいとも思わない、どうやらアル中では
なかったらしい。が、食事はともかくとして只の水ではなく、
味のある物が欲しかった。ジュースやコーヒー特に甘い味に
飢えていた。
朝昼晩と3回看護師さんが回ってきて、検温、酸素濃度、
血圧測定をする。時間は決まっていない。
今朝は、二人の看護師さんがやって来た、ひとりは若い
新米の看護師さんである。点滴を取り換えているがかなり
緊張している様子だったので、「今日はチョコレート味に
してください。」とオヤジギャグのつもりで言った。
というより実際欲しかったのだが、益々カタくなって
しまった。
「今朝から食事が出ます。おかゆですがゆっくり食べてく
ださいね。」
四日ぶりの食事である。おかゆだけかと思ったら、結構
ボルュームがあるな。とても食べきれずに半分残した。
内臓たちが騒ぎまくっている感じだ。
( 入院中に出された食事を記録しておいたので、献立の
ヒントにお役立てください。一番下に並べて置きます。)
さて、入院も2度目となると気持ち的に余裕がある。
特に今回のように経過観察だけの日々が続けば自分なり
の楽しみ方を見つけ出すものである。
点滴スタンドはトイレに行く時も顔を洗いに行く時も
ずっと一緒である。煩わしいが、なくてはならない存在
なので無下にはできない。この先何日生活を共にするのか
分からないので名前を付けることにした。
点滴スタンドの「テン。」なんとも単純明快であるが。
よし早速散歩に出かけるか。
「テン、行くぞ。」
カラカラと音を立ててエレベーター、デイルームの方へと
向かった。が、どうも油が切れているのか、ベアリングが
悪いのか真直ぐ進もうとしない。
スーパーなどに良くある動きの悪いカートのようだ。
こりゃ調教に失敗した犬の散歩だな。
まぁ、出来の悪い子ほど可愛いと言うしな。
それにしても歩きづらい、
やっぱり換えてもらうかな…。
つづく
- No. 5 予兆、前兆はあった。 入院二日目
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2014.08.13 WednesdayNo. 5
急性胆管炎、発症から手術、入退院までのちょっと可笑しな体験記
さて、「オーイおじさん。」は今日も朝から元気である。
病院の起床時間はAM6:00、朝食はAM7:00頃らしい。
朝の検温、酸素濃度、血圧測定が終わり、
「お腹がすいたでしょうけど、あと二日間は絶食です。」
「点滴と水だけで我慢してください。」
と気の毒そうに看護師さんが言う。
ふだんから空腹感が無いので食事に関してはつらいこと
はない。
しかし、今回の手術が内視鏡でできるとは医療技術の進歩は
目覚ましい物である。術後の痛みも無く、多少違和感はある
がこのまま退院しても良いんじゃないのかと思えるぐらいだ。
( 十一年前の胃ガン手術の時は、目覚めると集中治療室に居て
ベットの周りには何の機械だか物々しくズラリと並び点滴
スタンドが2本並んでいて、腕には点滴チューブ、背中には
痛み止(モルヒネ?)のチューブ、脇腹にも穴を開けられ廃液を
流すチューブが、鼻の奥にまでもチューブが、その上から
酸素マスクが付けられ、頼みもしないのにアソコにも
チューブが入っていた。
私しゃ「改造人間か。」と力を入れた瞬間、お腹で尺玉花火
が破裂する。「ドーン、パラパラパラ。」なんだこの痛みは、
腹を切るのはこんなにも痛い物なのか。
昔の武士は、三島由紀夫は麻酔もしないで切ったのだから
介錯なしでは耐えられなかったろうな、などと思ったものだ。
とにかく起きるのも寝返りを打つにも、腹に力が入る。
くしゃみをしても、咳をしても何をしてもその都度尺玉花火
が連日打ち上がっていた。)
まぁしかし、手術後の痛みにしても打撲や筋肉痛などは
いずれ治まると予測できる痛みなのでガマンの仕様もある。
この結石の痛みは本当にのた打ち回る痛さであったが、
何年も原因が特定できなかったので何時まで続くのか何時
止むのかも知れない恐怖の痛みでもあった。精神的ダメージ
も大きく、もう長くはないのかも知れないなと気弱になるの
も当然だろう。
気が付けば年に何度も用もないのに埼玉の実家に帰省し
両親に、古い友人に会いに行ったりしていた。
実は昨年も何度か同じ痛みがあったのだがいずれも一時間
も経たぬ内に治まっていたので医者にも掛からなかった。
この謎の痛み(恐怖の痛み)から逃れるように、この三年間
遊びもせずほとんど休まず仕事に励んでいた。時間があれば
畑を耕したり、何か形を残そうと木工作品など夢中で作って
いた。
当然、酒の量も増えていったのは言うまでもない。
今年に入って予兆、前兆は確かにあった。
妙に腰が背中が痛む。朝、顔を洗おうと前かがみになると痛
くて曲げられない、立ったまま靴下がはけないないのである。
ところが仕事で体を動かし始めるとあまり気にならなくなる。
薪屋の仕事も増やしていたし、暇さえあれば畑へ行き鍬を
振るっていたので筋肉痛かと思っていたが、すでに慢性化
状態であった。
時々オシッコがひどく濁っていたことがあった、それも疲れ
のせいにしていたが…。
同じような症状がある方は痛みのあるうちに医者に行って
ください。すぐに超音波、CT検査をしてもらいましょう。
痛みが治まり、石が流れてしまった後では遅いのです。
ガマンし過ぎると私のように何年も謎の痛みに苦しめられる
だけですから。
つづく
- No. 4 三途の川に佇む。 入院初日
-
2014.08.10 SundayNo.4
急性胆管炎、発症から手術、入退院までのちょっと可笑しな体験記。
辺りは真っ暗で静寂である。
腰のまわりには雲のようなふわふわとした水が
音も無く流れていているが、まったく抵抗感がない。
立っているのか浮いているのかも分からない。
「これが俗にいう三途の川なのだろうか 。」
すると、「オーイ、オーイ。」と誰かが叫んでいる。
動こうとするが身体が動かない、返事をしようと声を
出そうとするのだが声もでない。
金縛り状態だ。
何度も「オーイ、オーイ。」と叫び続けている。
年配の、男の良く通る声である。
そんなに遠くない場所から、右の方角から聞こえてくる。
どうすりゃ、いいんだ。
2014.7.15 AM6:00
「シャー ! 」とカーテンの開ける音がする。
「おはようございます。」と看護師さんが微笑んでいる。
朝日が現実を映し出してくれた。
そうだった昨夜手術をしたんだっけ、ここ2日間ろくに
寝ていなかったので爆睡していたようだ。
昨日、N医師が朝まで持たないかもしれないなんて、
脅してくれたのであんな夢をみたのか…。
「よく眠れましたか?。」と看護師さんが尋ねる。
「死んだように寝ていました。」と答えると。
ホッとしたような看護師さんの顔が、歪んだ。
「オーイ、オーイ。」
あれ ! あの声は間違いなく夢に出てきた
男の声である。
左側窓際のベットに寝かされているので、
右側、廊下をはさんだ向かい側の病室から
その声は聞こえてくる。
看護師さんに「あれは何ですか。」と聞こう
としたら、
「今日は、昼まで絶対安静です。」と言い、スタスタと
去って行った。
「オーイ、オーイ。」
うーん、もしかしたら私だけでなく多くの人たちを
三途の川から呼び戻しているのかもしれないな。
朝まで叫んでいるなんてタフな人だ。
こうして現実の世界に呼び戻されたのだから
「命の恩人。」だよな。
( S医師、スタッフの皆さんのおかげなんだけど、
「本当にありがとうございました。」)
そんなことを考えていたら別の看護師さんがやってきた。
「おはようございます、よく眠れましたか ? 」
「はい、ぐっすりと。」と答えると嬉しそうだった。
今日は一日点滴だけです、少量の水なら飲んでもOK
昼から動いても良いと言われた。
検温、酸素濃度、血圧測定、採血をしてる間に
また、「オーイ、オーイ。」と叫び始めた。
看護師さんが「一日中叫んでいる訳ではありませんので。」
それ以上は語ろうとしない。
いろいろ事情がありそうだったが、個人情報保護に配慮
するならば詮索しない方がお互いの為か…。
すると看護師長さんが挨拶に来た。
「おはようございます、よく眠れましたか ? 」
可笑しかった、皆一応に眠れましたかと尋ねる。
そういえば四人部屋に私ひとりだけである。
眠れない人が大勢いたのかもしれないな。
昨夜の夢の話をする。
「なのであの人は命の恩人なんです。」
真顔で話す私をしみじみ見てから、笑顔で
「よろしくお願いします。」
と言って足早に去って行った。
この日から私は敬意を表して「オーイおじさん。」と
呼ぶことにした。
( 翌日女房から、向かいの病棟は脳神経科だと聞かされた。)
つづく
- No. 3 夜、緊急手術となる。 三日目
-
2014.08.06 WednesdayNo.3
急性胆管炎、発症から手術、入退院までのちょっと可笑しな体験記。
2014.7.14 AM 8:00
掛かりつけ医のN医院に朝一番に到着。
これまでの経過を話す。
採尿、相変わらず濁っている。
検温、38℃まで上がっている。
採血。
超音波検査、ある臓器以外は問題ないとN医師はいう。
肝臓も多少脂が付いているが悪くはないと言っていた。
「とにかく血液検査の結果次第だ、午後4時頃に電話
をしてください。」
「先生、こんな痛い思いをするぐらいなら酒やめま
すよ。」と言うと。
「はは、もう遅いかもよ。」
と冗談めいて言っていたが…。
N医師の含みのある言葉が気にかかる。
もしもと思い、熱が上がるのを覚悟して畑へ水やりに
行った。ふらふらだったがたっぷりと野菜たちに水を
与えてきた。
PM4:00 電話するとまだ結果が出ていないらしい。
30分後にかけなおすが、もう少し待ってくれと。
PM5:00 N医師が慌てた様子で、
「CTE総合医療センターへ紹介状を書いておくので、
直ぐに入院の準備をして来なさい。」
明日ではなく直ぐにとはよっぽど悪いのか…。
女房に運転してもらいN医院に着くとN医師が待ちか
まえていた。
「検査の結果、異様に高い数値が幾つもある。すぐに
手術をしないと、明日の朝までもたないだろう。」
「専門のS医師に無理言って頼んでおいたから。」
紹介状を渡され、早く行くように追い立てられる。
朝までもたないとは、何が持たないのだろう…。
PM6:00 頃 時間外、外来へいくと若い当直の医師が
超音波検査を行うがS医師ではない、探触子を腹の
あちこちに移動するがくすぐったい。違う医師が来て同じ
ことをして行ったが、首をかしげて去って行った。
採血をして、点滴を打つとS医師がやってきた。
また超音波検査をするが、探触子の使い方が先ほどとは
全然違う。獲物を探し当てるとグイグイと押し付けてくる。
あっ、こりゃぁ 専門医だと確信し、安堵した。
その後CT検査を行うと、やっと病名が明らかとなった。
「胆管結石、急性胆管炎。」と告げられた。
現在結石が胆管上部に浮いているのか、へばり付いて
いるのか判らないがこれが原因て゛炎症を起こし激しい痛み
と発熱がつづいているらしい。これが下がって胆管を塞いで
しまうと破裂する恐れがあり、一刻も早く取り出さなければ
ならないとS医師は言う。
内視鏡でのオペと聞いてほっとする。何しろ開腹手術は痕が
痛くてつらいので…。
しかし通常なら確率の高い手術らしいが、私の場合胃を摘出
した後の継ぎ目に内視鏡がすんなり入るか判らないので
成功確率二分の一となりダメなら即、開腹手術に切り替えると
伝えられた。 ^^;
PM10:00頃 手術開始
内視鏡の手術台はカクカクと上下左右に動く。喉の麻酔液を
口に含み三分間ガマンしてる間、何人ものスタッフが手早く
動きまわって最終の打ち合わせをしている。マウスピースを
くわえうつ伏せに寝かされ鼻にチューブを付けられると徐々
に気を失っていった。
完全に気を失っていた訳ではない。
途中、終り頃に誰かが叫んだりしていたのは何となく聞こえ
ていた。
( 後で女房に聞いたのだが、S医師は石が採れたとき、
「採れた !」と叫んでたというからよっぽど大変だったの
であろう。)
どうやら上手く行ったらしい。
つづく
- No. 2 高熱となる。 二日目
-
2014.08.03 SundayNo.2
急性胆管炎、発症から手術、入退院までのちょっと可笑しな体験記。
2014.7.13 AM5:00
夜中に一度吐き戻した。
ほとんど眠っていない薬が効いているのか昨日より
痛みは弱い、熱も37℃ぐらいまで下がっていた。
自家製ヨーグルトを一口食べ、お土産の薬を飲む。
ウルソか、その昔獣医さんに言われるまま牛たちに
無理やり飲ましていたが、まさか自分が飲もうとは
思ってもいなかったな。
AM6:00 牛飼いへと出発する。
一時間程で終わったが、ふらふらである。
どうやら動くと熱が上がるようだ、当たり前か。
に、しても今回は半日でケロリとは治らないのは
どうしたことだ。
痛みは薬で抑えられているようだし、以前は
こんなに熱がでなかった。
PM12:00 昼におかゆを一口食べたが全然食欲がない。
まぁ、お腹はすかない体質になっているのだが。
( 十一年前に胃ガンで胃を切除してからというものの、
お腹が減った、腹減ったという感覚がまったく無く
なったので、なるべく時間通りに食事をすることに
している。でないと食べずに仕事を続けてしまうので
気が付くと貧血を起こしたり、脱水症状を起こすことも
しばしばある。
「胃ガンなんて胃を採ってしまえば治っちまうよ。」
と手術前に皆に慰められていたが、大変なのは採って
からのであった。
なにしろ外見からは胃のないのが、自分も他人も判らない。
つい、食べすぎたり、勧められたりで許容範囲を超えて
しまう。すると噴水のごとく食べた物が吐き出される。
何十年も大盛りご飯を食べていたのが、今では柔らかく
炊いたごはんを御茶碗一杯がやっとだ。まぁおかずは
人並み量は食べられそうだが消化の悪い物はご法度、
牛霜降り肉や生野菜は翌朝のトイレにそのままで出て
来る。
よく、腸が胃の代わりになるなんて言う人もいるが私の
場合ただ食道に溜まって腸に落ちていくのを待たなければ、
次の食べ物は受け付けない。
当初、一番悲しかったのがお酒だった。いくら飲んでも
溜まるところが無いので気分よく酔うことができなかった。
水のごとく通過してしまうので、つい飲み過ぎいしまい
結局は吐き戻してしまっていた。
現在は、お酒用の溜まり場ができたようで毎晩ほろ酔い
加減で一日が〆られる。お酒は長いお友達である。
お友達でいられれば良いのだが…。)
昼に飲んだ薬が効いたのか少し熱が下がった。
PM4:00 夕刻また牛飼いへと向かう、車に乗ると不思議と
シャッキリする。が、帰りは違った。
また熱が上がったのか車が宙に浮いてるような感じだ。
眠くなり意識を失いかけたので、バイパスを降りて信号
の多い道を選んで走った。
PM6:00 何とか帰宅した。
とにかく大人しく寝てるしかないとベットに倒れ込む。
夜中、熱はさらに上がり、39℃に達した。
こうなると寒気と言うより寒い。
熱帯夜だというのにタオルケット二枚をかぶって朝を迎える。
つづく
- No. 1 発症 初日
-
2014.08.01 FridayNo.1
急性胆管炎、発症から手術、入退院までのちょっと可笑しな体験記。
2014.7.12 (土)
5時起床、この日朝一番の小便は茶色く濁っていた。
このところ休みなく働いていたし、時間があれば趣味の
家庭菜園 ( 借りている土地だが、家庭菜園にしてはちょっと
広い二百坪ぐらいはあろうか。有機、無農薬栽培にこだわり、
なおかつ鍬一本で耕している。)
に勤しんでいたから疲れが溜まったのかなと思っていた。
お茶を一杯飲んで、急いで牛の飼い付けに出かける。
( 袋井の家畜市場で預かりの牛があると、土日祝日の朝夕に
エサくれの仕事を引き受けているのである。)
今週は素牛、乳牛と合わせて20頭以上はいるので、ちょっと
大変だ。
特に今日は身体が重い感じがする。
さてお次は、蘇庵として生乳の仕入れに掛川に戻る。
しばちゃんちのジャージー牧場に行くのだが、搾り立ての生乳
を使いたいので搾乳時間に間に合うように調整するのが毎度
一苦労である。
7時30分、自宅に戻り製造室に入る。
今日は「蘇糖」製造だけなので午前中には終わる楽な仕事だ。
と思っていたのだが…。
どうも、ダルイ、眠い、気分が悪い。製造室の室温はすでに
35℃を超えているがこの時期は何時もの暑さなので驚く事でも
無い、もしかして熱中症かしら。
なんとか作り終え、早めの昼食となった。
12時頃、食欲もなかったが朝も食べなかったので無理して
何とか流し込んだ。
昼寝でもするかと立ち上がると、背中が急に熱く痛くなった。
筋肉痛とも打撲とも違う異様な痛みだ。とりあえす゛ベットに
横になると今度はお腹が痛み出す。背中から前へと痛みが移動
した感じだ。
この腹痛は、間違いなく2年前に一回、3年前二回経験した
あの痛みと同じだ。
三回とも半日我慢したが耐え切れず、救急病院へ行った。
痛み止の点滴をするもあまり効果がなく激しい痛みにのた打ち
回り、うーん、うーんと唸っていた。ならばと座薬を入れ暫く
すると「あれ、あれ!?」ウソのように痛みが消え、何事も無か
った様に帰宅した。
後日掛かり付け医のN医院でエコー検査をするも原因が特定でき
なかったのだが…。
そうだ、救急病院でお土産もらった座薬が冷蔵庫に入って
いたっけ。きっとまた半日もすれば良くなるはずだ、早速座薬を
入れ激しい痛みと格闘する。
夕刻までに何とかしないと牛飼いができない。
家畜を生かすも殺すも人間の都合次第だ、まぁ一日食べなくたって
死にはしないが、預かりの牛なのでほっとくわけにはいかない。
無理なら代わりを頼むしかないがー。
3時間ほどすると少し痛みが和らいだ。
少し早いがエサくれに行くことにした。
今日に限って頭数が多い。
ふらふらだったが何とかやり遂げた。
が、ヘタリと座り込んでしまった。痛みが増し、熱が出てきた
ようだ。
救急車を呼ぶことも考えたが、とりあえず女房にデンワをした。
M医院が17時から診療受付をするらしい。
袋井と掛川の境だから10分もすれば着くはずだ。
「最後の力を振り絞り。」とはこのことだな。
車に乗ると少しシャッキリした、良しこれなら行ける。
太ももをつねったり、大声を出したりして痛みをごまかそうと
したが無駄な抵抗だった。
16時50分 M医院に到着する。
一番乗りだったのだが、ほうほうの体だったので受付は二番目に
なってしまった。
待合室の長椅子に崩れるように座る。
懐かしいな、小学校の木造校舎のようなレトロ感がある病院だ。
実に愛想のない待合室は変わっていない、市の文化遺産登録に
推薦したいぐらいだ。
ここへ来るのも15年ぶりぐらいだろうか、落馬して肘にヒビが入り、
今時こんなに石膏をてんこ盛りにするのかと驚いた記憶がある。
あの時診てくれたのはやさしいおじいちゃん先生だった。
もう代替わりしているのだろうなと思っていた...。
こんなことでも考えてみないと気を失いそうだった。
椅子のはじっこを握りしめ耐える事10分、第二診察室に通されるが
先生は来ない。
先の一番の患者さんと労災の話をしているようだ。
「早くしてくれ! 」と小さく叫んでみた。
かすかに聞こえる話し声に聞く耳立てながら診察台の上で転がり
回っている。
「あっ! 、あのやさしい声は紛れもなくおじいちゃん先生だ。」
まだ、ご健在で現役なのか...。
ちょっと複雑に心配になってきた。
そんな、ところに登場したのは、紛れもない、
やはり、もっとおじいちゃんになっている先生であった。
「どうしましたか? 」の優しい声を、さえぎるように一気に今日の
出来事を話した。そして、涙目で早く何とかしてほしいと頼んだ。
「とにかく痛み止の点滴をしましょう。」
「その前に、おしっこは出ますか?」
とたずねられる。
「出なければ無理に出さなくともいいですよ。」とやさしく悠長に
問われるが。
何でも出しますから早く点滴してくださいと懇願する。
ほんの少し出た小便は、赤黒かった。
それを見たおじいちゃん先生は「石かもしれないね。」とつぶやいた。
離れの病棟に入ると早速点滴をするが、30分たっても痛みはひかない。
それではとおじいちゃん先生、点滴の袋をゆすり始めた。
「早く効くようになりますよ。」と笑っている。
本気か? ホンマかいなと思っていたら。
あれま ! だいぶ和らいできた。
楽になったよと告げると、
「あまり早く入れると身体に悪いから、少し眠るといいよ。」
と言われた。
いゃ、今早く入れたでしょうとツッコもうとしたら、
お腹を触り始めた。
「胆のうが腫れてるかな?、肝臓も少し膨らんでるね。」と言う。
あとで薬を出しておきましょうといって、去って行った。
超音波検査とかしないのか? 、もしかして 無い のか?
とにかく痛みはだいぶ治まった、この調子なら前回と同じように
治るだろうと思っていた…。
点滴が終わり一時間ほど眠ったようだ、少しふわふわするが昼間の
事を思えば楽なものである。
痛み止と、ウルソ錠をお土産にだしてもらった。
ウルソって肝機能改善の為によく牛に飲ましていたが人間にも
効くんだ、なんてつまらぬことを考えていたら昔の看護婦さんが、
「お酒をやめて規則ダダしい生活を送れば治りますよ。」
と笑って言った。
「こんな苦しい思いをするぐらいなら酒は止めますよ。」
と微笑み返してみたが…。
酒のせいなのか、胆石なのか、肝硬変なのか。
結局、ひーおじいちゃん先生は病名はハッキリとは言ってなかったよな。
20時30分 帰宅する。
痛みは和らいだもののどうも熱っぽい、体温を測ってみると38℃
もある。
粥を一口食べ、薬を飲んでベットにもぐり込む。
長い一日だった。
何時ものように、前回の時のように明日には治っているだろうと
思っていた、願っていた。
が、それはまだ序章に過ぎなかったのである...。
つづく