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蘇の一 歴史に学ぶ
 
 蘇を語るにはやはり歴史を踏まえてからでないと理解できない
所もありますので、新しくカテゴリを作りました。
「蘇のシリーズ 歴史編」ということで「製造編」と併行して詳解
していきたいと思います。
 
 
 古代日本においてミルク文化が誕生したのは645年(大化元年)
孝徳天皇の時代であるとされています。韓国(百済)の帰化人、
善那使主が天皇に牛乳を献上したところ大層気に入られ和薬
使主との姓を与えられました。
このことは平安時代初期に成立した「新撰姓氏録」に以下
のように記されています。

 
[和薬使主]
呉国主照淵の孫智聡ヨリ出ヅ。欽明天皇ノ御世
ニ大伴挟手彦ニ随イテ内外ノ典、薬ノ書、明堂
ノ図等百六十四巻、仏像一躯、伎楽の調度一具
等ヲ持チテ入朝ヌ。男善那使主、孝徳天皇ノ御
世ニ牛乳ヲ献ルニヨリテ、姓ヲ和薬使主ト賜イ
キ。渡シ奉レル本方ノ書一百三巻明堂ノ図一ツ、
薬臼一ツ、及ビ伎楽一具ハ、今大寺に在リ。
 
 牛乳は薬として考えられ、牛乳(薬)を扱う医者と
して和薬使主(やまとくすりのおみ)という姓を与え
られた。後に太政官典薬寮の官職「乳長上」という
職を任ぜられ、善那使主(和薬使主)の一族が世襲す
ることになったそうです。
その約五十年後、700(文武朝四年)諸国に造蘇が命じられ
ることになるのだが、おそらくこの間に日本風土に合わせた酪農
形態を模索し作り、日本独自の乳製品「蘇」の製造法を編み
出したものと思われる。
 
 さてこの善那使主一族とはいったい何者なのか。
欽明天皇(531〜571年)の時代、大伴挟手彦が朝鮮半島
遠征のさい韓国(百済)にいた知聡(善那の父)を
つれて帰国した。このとき仏像仏典や多数の医薬書
も持参していて牛乳の薬効などが説かれた「本草書」
も含まれていたようだ。帰化人たちは牛乳飲用の
習慣もあり牛の飼育法にも長けていたようである。
(この技術は後に国家規模での造蘇制度確立の礎とな
るのである。)
 
 これらを受け継いだ善那が孝徳天皇に牛乳を献上したの
であるが、この時おそらくチーズやバターの様な物
(仏典に説かれている五味の乳製品、酥や醍醐など
一緒に献上したと思われる。)
 
善那は後に福常と日本名を与えられ、子孫は乳長上と
して代々朝廷に仕え、典薬寮の別所「乳牛院」にて「乳戸」
から牛をつれてきて乳を搾り、乳製品を作り献上したそうだ。
 
 
 「乳長上」「乳牛院」「乳戸」など酪農家なら興味をひかれる
キーワードであろう。次回はその辺のところを詳解してみよう。
author:蘇庵, category:蘇のシリーズ 歴史編, 15:41
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